先日、「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」に行ってきました。
ドラマで実際に使用された衣服や武具が展示され、ドラマのハイライトをまとめた動画なども観ることができます。
その動画に初期のハイライトとして使われていたのが、
「坂東武者の世を作る!そしてそのてっぺんに北条が立つのだ!」
片岡愛之助さん演じる北条宗時が、主人公である北条義時(小栗旬さん)に堂々と宣言するこの場面。 その後続く鎌倉の世を知っている現代の我々からすると、当時の虐げられた坂東武者の立場を理解するのは少し難しいのかもしれません。 朝廷とそれを操る平氏の我が世、完全に支配されていた側の東国の田舎武士が、平家を倒して世の中を正すなど、常人には冗談としか聞こえなかったのではないでしょうか。
日の光を背に、はっきりとそんな言葉を言い切る宗時が眩しすぎます。義時の中で、その言葉は生涯を貫くパーパスとなりました。
宗時はその後非業の死を遂げ、義時がその遺志を受け継ぎパーパス実現に向けて様々な行動に移し結果的には北条の世を作り、長きにわたり支配を継続していくわけです。
ただその過程において様々な軋轢が生じ、その軋轢からやがて「パーパスのジレンマ」に陥ることとなります。
つまり「坂東武者の世を作る!」と「そのてっぺんに北条が立つ!」のギャップです。
生真面目な義時は、お兄ちゃんが遺した言葉をそのまま受け取り、すべてを実現しようとし、壮絶な他氏廃絶を行います。(頼朝の教えもあり、そもそもそういう世の中だった、という見方もありますが、幾分やりすぎです。)
これでは本来の意味での豪放磊落な坂東武者たちの世を持続可能とした、とは言えません。
柔軟な発想を持ちながらストレートな性格の宗時がもし生きていてこれを実行したなら、ドラマで描かれた、鬼のような北条至上主義にはならなかったかもしれません。
これはつまり、ワーディング(言葉選び)の問題です。
意味を汲み取り、言葉自体にこだわらず、「誤解を生む」と感じたときにその場その場で意味を変えずに言い合わしを変更することがパーパスには非常に大事、と言えます。
以上をふまえて、新たな鎌倉のパーパスを考えてみました。
Before:
パーパス「坂東武者の世を作る!そしてそのてっぺんに北条が立つのだ!」
After:
パーパス「坂東武者の世を作る!」
バリュー「北条がその旗振り役となる!」
北条至上主義的な意味合いは北条氏以外は関係なくむしろ反発のもととなるためパーパスとしては適さない。
あくまでパーパスを実現する手段としてのバリューとし、北条氏内の行動基準とする。
尼将軍政子は承久の乱にてうまくこのパーパスをアレンジし、御家人の意思を統一してましたね。
皆さまにおいても、パーパスに限らずミッション・ビジョンもワーディングを定期的に見直されてはいかがでしょう。
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